12.18.2007

『ブレードランナー』

最近よく『ブレードランナー』のDVD発売のCMを目にします。SF映画の古典とも言える作品で、初公開が1982年だから25周年。これほどカルト的人気を博している映画も珍しいでしょう。

ご多分に漏れず、僕も3~4回は見ています。でも、何度見ても本質的なところは理解できません。オリジナル版だとか、ディレクターズカットだとか、色々なバージョンが出ているため、どれを見たのかすらよく分からなくなっています。

宇宙で作業していたレプリカント(人間を模したアンドロイド)が、地球に舞い戻り、人間に復讐を企てるというストーリー。レプリカントの生みの親を殺すシーンは親殺しという宗教上のタブーをテーマにしているとか、レプリカントを抹殺する指令を受けた主人公のデッカード(ハリソン・フォード)自身が実はレプリカントだったとか、様々な解釈や諸説が飛び出す非常に深い作品なのです。

フィリップ・K・ディックの原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も読みました。何となく分かったのは、SF映画なんだけど人間とは何か、を描いた作品だということ。人間にとって最も崇高な能力は感情移入力であり、それがレプリカントと人間の差。これに気づいたときは、何だか人間であることに誇りを持てうれしくなったものです。それ以来、感情移入力や想像力といった人間ならではの要素を大切にするようにしています。

余談ですが、欧米人を夜の渋谷ハチ公広場に連れていくと、大型スクリーンやら巨大な広告看板を見て「まるでブレードランナーの世界だ」と感動するそうです。現実の渋谷はもっと殺伐としているのですがね。