9.02.2010

『ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略』/後藤健生

サッカーの見方が変わる本かもしれません。マラドーナがたしか90年W杯で準優勝に終わった後(別の場面だったかもしれません)、「サッカー界にはマフィアがいる」と泣きながら訴えていたと記憶していますが、本書を読んでその意味するところが分かったような気がします。

と言っても、本書はサッカーの本というより、政治や外交の本といった方が適切かもしれません。特に面白いのは第1部「ワールドカップと政治」で、W杯という巨大ビジネスの舞台裏でFIFAがどのような戦略をとっているか、またFIFA内でどんな権力闘争が繰り広げられているかが描かれています。あの疑惑の判定は、あの日程・組み合わせは、実は仕組まれていたのか?なんて数々の場面が脳裏をよぎったりしました。

逆に第2部「南アフリカ開催の意義」は、もはや南アW杯が終わった今、積極的に知ろうとするモチベーションを保てませんでした。結局「ワールドカップは誰のものか」というタイトルに、明確な答えを出していないのも残念です。

8.03.2010

Eat, Pray, Love./Elizabeth Gilbert

30台の悩める女性向けかと思いきや、男性にも大いに楽しめる本でした。英語も平易で読みやすく、英語の勉強に最適です。

ジャーナリストとしての安定した仕事と行き詰っていた夫婦生活を捨て、1年間の旅に出たアメリカ人女性の自叙伝。イタリアでは食を、インドでは信仰を、そしてインドネシアのバリでは現世と精神世界のバランスを追求するとテーマを決めて、4ヶ月ずつ滞在。それぞれの土地でのかけがえのない出会いを通じて、人生の真理へと行き着くという物語。

こう書くと「いかにも女性向け」という感じがするかもしれませんし、事実、“神”との対話などスピリチュアルな話には、やや食傷気味になることもありました。また、すごく意地悪い見方をすれば、全編が著者のハッピー自慢に過ぎないかもしれません。それでも、著者を取り囲む登場人物たちが魅力的に描かれており、一緒に著者を応援したくなってくるから不思議です。そんなポジティブなパワーが本書にはあふれています。同時に観光ガイドとしての側面もあり、特にバリに行きたくなってしまいました!

2010年9月には映画が公開されますが、このストーリーがどう映像化されているのか見ものです。

6.30.2010

PK戦は運か?

日本代表、残念ながら負けてしまいました。

「PK戦は運」とかって、選手もアナウンサーもサポーターも言う度に強烈な違和感を覚えてしまいます。以前、日経のコラムで読んだのですが、サッカーは最終的にはボールを蹴る技術を競うスポーツ。PK戦というのは、体力を消耗し、プレッシャーがかかる極限状態の中でのキックの技術を競うもので、そこに真の実力が表れる、というような主旨でした。

運だと言うのなら、ドイツがワールドカップの歴史上、PK戦で負けたことがないどころか、一人しか失敗したことがないことの説明がつきません(ちなみに、その失敗は1982年大会準決勝のフランス戦のシュティーリケ。とても印象に残っています)。イングランドがPK戦で負けてばかりのことも。

日本選手はキックの技術は優れていると思うので、後はプレッシャーに打ち勝つメンタルをどう鍛えるかでしょうか。

しかし、今大会の日本は全試合を通じて魂のこもったプレーを見せてくれたました。それはよかった!

6.29.2010

A Concise Chinese-English Dictionary for Lovers/Xiaolu Guo

著者は1973年生まれで、中国では世代の代弁者だとか新世代文学の旗手などと評価されているようです。

本書は、23歳の中国人女性の1年間のロンドン留学を日記風に綴った物語。同じアジア人として、読後感はやや複雑です。映画館で出会った年の離れた男性とすぐに同棲を始めたりするなど、あまりに無防備な姿勢はアジア人女性の尻軽さと誤解される恐れがあるような。若くて冒険心があるとはいえ、あまりに主体性がなさすぎで危なっかしい。だからアジア人はバカにされるんだ、などと思ってしまいました。中国人の物の見方などを実感できる点は面白いのですが。また文章面では、英語力が徐々に上達していくという体裁を取っているのが、あまりにわざとらしく感じられました。徐々に難しい単語や表現を使えるようになっていくのに、いつまでもmanの複数形をmansと表記し続けていたり。

結局、カバーに象徴されるように、本書は西欧人の読者をターゲットに書かれたのだと思います。西欧の男性にはこんな女性がミステリアスで魅力的に感じられるのでしょうか? そのためか、USやUKのアマゾンのカスタマーレビューでは意外なほど高い評価も得ていて驚きます。

5.07.2010

『パイレーツ・ロック』

1966年のイギリスを舞台にした映画。当時UKロックがアツイのに、唯一のラジオ局BBCには1日45分までしかロックを流してはいけないという規制が。そんな中で、政府の規制に反対し、北海に浮かぶ船から24時間ロックを流して多くのリスナーを獲得した海賊ラジオ局「レディオ・ロック」の物語。

実話をもとにしているそうですが、個人的に感慨深いものが。僕がラジオを聴くようになったのは幼少時代のイギリス(1980年代前半)。毎週日曜日午後に4時間にわたってBBCで放送されるTop40に熱心に耳を傾け、テープにも録って繰り返し聞いたものでした(エアーチェックという言葉懐かしいなあ)。ロックがふんだんに流れるようになった背景には、こんな熱い闘いがあったとは!

ただし、映画の出来は今一つ。先の読める展開ばかりで予定調和的。『ラブ・アクチュアリー』もそうでしたが、リチャード・カーティス監督の作品からはイギリスのいい面を無理矢理こしらえようとする嫌らしさを感じてしまいます。まるでCool Britania政策の一環にすら思えるほど。

また、映画中では60年代ロックばかりだったのが、エンディングロールに続々と登場するアルバム・ジャケットには最近のものまで含まれるなど時代を超越しすぎ。まるで統一感がないのが残念でした。どうせなら60年代ロックへのトリビュートにすればよかったのに。

5.06.2010

日本代表には期待しないのが一番。

メンバー発表を間近に控えた日本代表ですが、サッカー好きの友人たちの間では「本田のチーム」にすべきという声が大勢を占めます。僕はさらに一歩踏み込んで、本田が選手選考に関わってもいいと思っています。もちろん名目上は岡ちゃんが選んだことにして。今からでも本田に全権を委ね、彼のやりやすいメンバーを選ぶくらいのショック療法が必要では?

本田は日本代表の中では浮いているようですが、本来は全員に本田くらいのメンタルの強さとビッグマウスが必要でしょう。

最近ラテン系のチームに入ってサッカーやっています。ブラジル、メキシコ、チリ、ボリビアといった中南米の連中が中心で、そこにイギリス人や日本人が数名入っているチームですが、とにかく連中の気持ちの強さを感じます。毎試合必ずケンカが起きます。ファウルに怒ったり、レフリーの判定に異議を唱えたりで。日本人からすれば、草サッカーなんだしその程度のことで怒るなよ、となるところですが、彼らは仔細な局地戦においても絶対に負けたくないという勝利への執着心を見せるのです。日本人に足りないのはこれだな、なんて思ってしまうわけです。

日本代表には期待しないのが一番。期待されない方がかえっていい結果が出るような気がします(という期待なのですが…)。

5.04.2010

『フロスト×ニクソン』

1974年に行なわれ、アメリカのテレビ史上最高の視聴者数を記録したという対談を映画化したもの。

ウォーターゲート事件で辞任したニクソンに、イギリスのテレビ司会者フロストが対談を申し込む。ニクソンとしては高額な報酬に加え、プラス面をアピールして政界復帰への足掛かりを得たいという目論見が。一方のフロストには、アメリカのショービズ界進出という下心が。対談は4回にわたって収録されることに。

ドキュメンタリー・タッチの映像と音楽が知的興奮を掻き立てます。特に対談の場面は、手に汗握る緊張の連続でした。

ただ、やはり解せなかったのが、それまで全く隙がなく格の違いを見せつけていたニクソンが最終収録前夜あたりになって急に動揺してしまうこと。映画の中にもボクシングの比喩がたくさん出てきましたが、ノーガードの打ち合いというよりは、終始リードしていたニクソンが最終ラウンドで勝手に自滅したみたいに感じられてしまいました。

また、フロストも能天気でいい加減な男なのか、真の切れ者なのかが最後まで不明でした。1回目の対談の前日にガールフレンドとパーティーに行くなど余裕をかましていたかと思ったら、スポンサーがなかなか集まらず苦悩したり、最終対談の前になって突如やる気を見せたり。フロストについて調べようにも、日本版wikipediaに載っていない!

4.22.2010

アイスランド火山噴火で実感した「ワールド・イズ・フラット」。

アイスランドの火山噴火。遠い所での出来事かと思いきや、意外にも影響をモロに受けています。

例えば仕事においては、エンジニアが日本に出張に来れなくなり、サーバーの調子が悪く仕事がはかどらない。例えば今週末の友人結婚式においては、イギリスから来るはずだった友人夫妻との久方ぶりの再会がおじゃんに。例えばアマゾンで購入した洋書が、届くのに3週間以上かかるとの連絡を受けたり。

世界は狭くなったと実感した次第です。

4.15.2010

『月に囚われた男』

あのデイビッド・ボウイの息子、ダンカン・ジョーンズの長編初監督作品。大好きなSF映画ということもあり、躊躇なく見に行くことにしました。

個人的には、『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』に匹敵する傑作だと思いました。というか、両作品へのオマージュと言ってもいいほど、随所に影響が。

近未来。ルナ・インダストリー(いわゆる資源メジャー)に雇われ、3年任期で一人、月へと資源の採掘に派遣された男の物語。唯一の話し相手は身の回りの世話をしてくれるガーティというコンピュータ。地球で待つ妻と幼子に会えるのを心待ちにしながら、黙々と任務をこなしていきます。ところが、任期終了まであと2週間というところで、幻覚を見るようになったり、誰もいないはずの基地に自分と瓜二つの人物が現れるなど異変が…。ガーティの制止を振り切り、謎を解こうとするサム(この場面は、『2001年宇宙の旅』のボーマン船長とHALのやりとりを彷彿とさせます)。そこで驚愕の事実を知ることになるわけです。

ネタバレになってしまいますが、すぐに分かることなので言ってしまいましょう。要は彼はクローンだったのです。つまり、妻や幼子というのは彼の記憶に埋め込まれた虚構で、彼はルナ社にいいように利用されていたわけです。この場面、自分の出自を知ったサムの心情にどこまで感情移入できるかで、この映画の印象や評価は大きく変わってくるでしょう。

『ブレードランナー』は、自分たちが人間ではないと知ったレプリカントたちが、自分たちを作った企業に復讐しに行く映画。『ブレードランナー』が素晴らしいのは、レプリカントを通じて「人間とは何か」という根源的な問いを発しているからです。『月に囚われた男』も、クローンを通じて同様のテーマを投げかけているわけです(サムがルナ社に復讐しに行ってもおかしくないでしょう)。SF映画って空想だからこそ大胆な設定や極論を展開できるわけで、思い切りのいいテーマに挑戦したダンカン・ジョーンズに拍手です!

そして余談ながら、どうしてもボウイの影を見てしまいました。主人公サムは、ボウイの初ヒット曲となったSpace Oddityのトム少佐を地で行くようだし(後に明かされたように、実は麻薬中毒者で幻覚を見ていた点も相通じます)、ボウイが宇宙人を演じた映画『地球に落ちてきた男』の逆バージョンにも思えます(だから邦題も『月に囚われた男』なのか? ただし、原題はシンプルに「Moon」)。この映画はイギリスでは新人映画賞などを総なめにしたそうですが、親子そろって「月」つながりの作品が出世作となるとは…!

http://moon-otoko.jp/

4.07.2010

桜の下で感じた異文化。

先週土曜日はお花見。いつもの友人たちやアメリカ人たち、さらにその友人たちといった雑多な人たちが集まり、総勢20名近くの大所帯に。代々木公園の穴場に陣取り、次から次へとやってくる参加者たちをうまくさばくなど、終了後はCHO(Chief Hanami Officer)としての責務を無事に果たした満足感に包まれたのでした。

参加者の中にこれまで出会ったことのないような出自を持った女性がいました。彼女はハワイ出身なので国籍としてはアメリカ人なのですが、タイ人、ハワイ人、スイス人、アラビア人、日本人、沖縄人という多国籍な血が混じった人物(親がいずれもハーフだったりクォーターだったり)。顔立ちももちろんエキゾチック。複数のアイデンティティを持つ人物だけに、文化論に関しても一家言持っており、アメリカとハワイを一緒に論じてはいけないのと同様、日本と沖縄も違うカルチャーとして論じるべきだ、などと主張しておりました。

このような新しい人たちと出会う場になると、英語の良さを感じます。日本語だとどうしても最初は敬語になり、それとなく相手の年齢を聞くことから関係性を規定しようとします。もちろん敬語には敬語の良さがあるのですが、どうしてもよそよそしくなってしまいます。でも英語には敬語がないので、初対面の相手ともフランクに話せるのがいいですね。自分でも、日本語を話しているときと英語を話しているときで人格が変わるのを感じます(英語のときの方が明るくオープン)。

均質的な日本との彼我の差を強く感じさせられた1日でした。

3.30.2010

政治家のせいで指を切った夜。

昨夜、料理中に指を切ってしまいました。ネギをザクザク切っていたところ、一瞬目を離してしまい、次の瞬間左手小指の先に痛みが。血が出るわ出るわ。さすがGlobalの包丁はよく切れる。しかも運悪く前日に研いだばかり。すぐに止血して絆創膏を貼り、大事に至りませんでしたが。学生時代に飲み屋の厨房でバイトを始めた頃はよく切っていましたが、それ以来16年ぶりくらいでしょうか。それにしても片手しか使えないというのは何かと不便です。料理、洗い物、入浴、仕事。特にキーボードを思うように打てないのがストレスたまります。小指って意外と重要だったんだ、なんて表に出ることのなかった労を労ったり。しかし何より腹立たしいのが、目を離してしまった理由。テレビで流れていた、亀井さんと菅さんがケンカしたという小学生レベルのニュースに拍子抜けしてしまったのです。いやはや政治家にはしっかりしてほしいものです(ただの八つ当たり…?)。

3.28.2010

The Reluctant Fundamentalist/Mohsin Hamid

今年に入ってからBook Clubなるものに通っています。月に一度、読書好きが集まり、課題図書を読んで感想を述べ合うというもの。ディスカッションが好きな欧米ではよくある形態で、東京でもいくつか行われていることを知り、参加することにしました。僕は現在2つのクラブに通っていますが、いずれも参加者はアメリカ人をはじめとする欧米人が中心で、日本人も数人交じっています。

4月の課題図書として読んだのがこの本。このクラブがなければ、パキスタンの小説を読むことはまずなかったでしょう。そして、世界にはこんな小説もあるんだ、という新鮮な驚きに包まれました。

「すみません、何かお困りですか? いえ、怪しいものじゃないんです。私はアメリカに住んでいたことがあって、アメリカが大好きなんですよ」。パキスタン第二の都市ラホールにあるカフェで、パキスタン人青年がアメリカ人旅行者に声をかけるという設定。全編が青年の一方的な独白という形で進みます。18歳でアメリカに渡り、有名大学を出て、大手コンサルティング会社に勤め、上司に認められ、高給に恵まれてパキスタンにいる家族に仕送りし、白人女性に恋をする。貧しい国から来たものが夢見るようなアメリカン・ドリームを実現したのですが…。タイトルを直訳すれば「気乗りしない原理主義者」。なぜ彼は気乗りしないのか? なぜ原理主義に傾倒するようになったのか? 次第に明らかにされていきます。

最初は語り口の面白さからコメディだと思いましたが、徐々に青年の独白は真剣度を増していきます。青年の経歴と著者の経歴がかぶることから、著者自身の体験が主人公に反映されていると考えてよさそうです。恐らく著者は、9.11以降、急速に内向的になったアメリカという国家を糾弾したかったのでしょう。コメディ、ミステリー、恋愛、政治など、様々な要素が詰まった斬新な小説でした。

3.26.2010

テンはなぜトキを襲撃したのか?

ちょっと前のことですが、佐渡島のトキ襲撃の一報を聞いて真っ先に思い起こしたのが阿部和重の『ニッポニアニッポン』という小説でした。

コンプレックスの塊のような引きこもり青年が、自らの存在を証明するためにトキ密殺を企てるというストーリー。なぜトキかというと、自らの名前・鴇谷春生に鴇(トキ)という漢字が入っており、自らの忌まわしい過去を抹殺するころになるだろうと考えたことに加え、トキの学名ニッポニアニッポンが日本を象徴しており、日本という国家に対して制裁を与えることになるだろうと妄想したから。たしか10年くらい前の小説なんで詳細は忘れましたが、当時、閉塞感に苦悩する若者の見えない叫びを見事に言語化した傑作だと感心した覚えがあります。

さて、この度のトキ襲撃にもきな臭さを感じてしまったのは僕だけでしょうか? 一躍有名になったテンという動物。名前くらいは聞いたことがあっても、ほとんど何も知りませんでした。今回の行動が「おいらの存在を世間に知らしめてやる」というテンの意を決したものだったとしたら…。はたまた、仮に鴇谷春生と同じような悩みを持った係員の作為を持った行動だったとしたら…。なんてこちらも勝手に妄想してみたりして。

3.20.2010

空を舞うサンダル。

朝起きたら、ベランダのサンダルが片方しかありませんでした。どうやら昨夜の突風で吹き飛ばされたらしい。新聞を取りにエレベーターホールに行ったら、別のサンダル片方だけが「うちのベランダにありました」という手紙とともに置いてありました。どうやら各地で同じ現象が起きていた模様。無数のサンダルが空を舞っている姿を想像してしまいました。

2.27.2010

『ブラインドネス』

もし突然目が見えなくなったら? ポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマゴの小説を原作とした映画『ブラインドネス』は、人間が生きる希望とは何か、人間の尊厳とは何か、といった究極の問いを投げかけます。

ある日突然失明するという疫病が蔓延した某都市を舞台にストーリーは展開します。接触感染することが分かったことから、政府は患者を強制的に隔離します。収容施設では日に日に患者が増大し、目が見えないことから争いは絶えず、衛生状態も悪化。すると「王」を名乗り、供給される食料を管理しようとする人物が現れ…。実は一人だけ、夫のそばにいたいからと、目が見えるのに収容施設に潜り込んだ女性がいました。彼女は「王」への戦いを挑んでいきます。

疫病の原因が明らかにされないこと、なぜ一人だけ感染しないのかをあげつらうことは野暮です。こういったシチュエーションに陥ったら人間はどういう行動を取るのか、いつ治るとも分からずいつ施設を出られるとも分からない中、何を希望に生きていくのか、を疑似体験することにフォーカスすべきなのですから。

施設内では人種、国籍、職業、社会的地位といった属性は無意味です。お互いの年齢も肌の色も顔も分からない中、話す言葉だけで人間性を判断して連帯していく。目が見える世界では人種差別に苦しんだあろう眼帯をした黒人の老男性が、「今まで生きてきた中で一番幸せだ」と言った場面は感動的です。目が見えない人たちの中で、ただ一人目が見える女性は「神」です。でも彼女はその状況を悪い方向に利用しようとしません。あくまで夫に献身的に寄り添っていたいだけ。そこに絶対的な愛を感じます。

極限状態の中でも人間としての尊厳を保つことが果たして自分にはできるのか、見ながら考えさせられました。そして原作を読みたくなりました。恐らくこの内容は映像より活字の方が、よりリアリティを持って迫ってくるでしょうから。

1.30.2010

Men with Sticks/John Lurie National Orchestra

というわけで、家にあるジョン・ルーリーのCDを全部引っ張り出して聞きなおしています。

Lounge Lizards時代もいいんですが、僕の一番のお気に入りはやっぱりこれ。93年に発表されたユニットとしてのアルバムです。

非常にジョン・ルーリーらしい、人を食ったようなアルバムだと言えます。なんせ、たった3人なのにNational Orchestraを名乗っちゃう。1曲目のIf I Sleep the Plane Will Crash(このタイトルも笑っちゃう…)は30分以上の大作。肝心の音は、ドラムとパーカッションがひたすらリズムを刻み、そこへジョンが自由気ままにサックスをかぶせている感じ。

実はこのCD、購入当初は失敗したと思っていました。それが、聞けば聞くほどに味が出てきて、その後は大のお気に入りへと昇格。非常にピュアで、躍動感にあふれた音を聞いていると、原初の荒野が目に浮かんできます。もしかして人類が最初に音を楽しみだした(つまり音楽の起源)頃って、こんな感じだったのかな、なんて。あまりの心地よさに聞いていると眠くなるので、不眠症の人にもオススメです。ジャケット写真含むビジュアルも抜群に良いです!

ジョン・ルーリーに圧倒された!

ワタリウム美術館で今日から始まったジョン・ルーリーのドローイング展に行ってきました。

ジョン・ルーリーと言えば、ジャズ・ミュージシャンとして、はたまたジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』に出演し個性派俳優として活躍するなど、ニューヨークという街がとても似合う個性的でスタイリッシュな存在でした。音楽でも映画でも、どこか人を食ったようなところがあるのが彼の特徴。観客は肩透かしを食らってしまうのです。90年代半ば以降しばらく名前を聞かないな、なんて思っていたらライム病という難病を患っていたと数年前に雑誌で読みました。音楽ができなくなっているため、絵を描くことで自分を表現しているとも。

そして表現手段が何であれ、ジョン・ルーリーはジョン・ルーリーでした。大胆な構図に派手な色遣い。一見、子どもの落書きにも思える“ヘタウマ”系の絵。でも、よく見るとディテールにすごい凝っている。そして何と言ってもタイトルの付け方が抜群にユーモラス。アートを見に行って笑いが止まらない、なんてことは滅多にないでしょう。一例を挙げれば、「アメリカ人女性は武器を持つ権利がある(American Women Have The Right To Bear Arms)」という絵は、女性らしき人物の腕が熊(Bear Arms)になって威嚇しているというダジャレ。「私のアパートには毛皮を検査している原始人が住んでいる。出て行ってくれるといいのだが。」は真っ赤な部屋で原始人らしき人物が机に座って毛皮を精査しており、その上を草木がアクションペインティングのように覆いかぶさっている絵。なかなか言葉で表現するのは難しいので実際に見に行って欲しい。ツボにはまる人ははまるでしょう。

http://www.watarium.co.jp/exhibition/1001john/index.html

1.24.2010

『マルコムX』

マルコムXって、その風貌や名前からして怪しげな人物だと思っていました。キング牧師とは対照的に、暴力的手段も辞さずに黒人解放運動を指導した、くらいの。それが、この映画を見たら認識が180度変わりました。結局のところ、彼は利用されただけなんですね。

そもそも父が黒人解放運動家で、マルコムが子どもの頃に殺害されてしまう。マルコムは当然のようにチンピラの道を歩むわけですが、窃盗の罪で服役中、そそのかされて急進的な教団に傾倒してしまう。頭が良くて、度胸もあって、カリスマ性があったから、出所後は教団のスポークスパーソンに据えられてしまった。ところが、教団のいかがわしさに気づき、メッカへの巡礼を経て考え方も融和されたら、今度は教団から敵対視され命を狙われるはめになってしまう。。。時代に翻弄されたその悲劇的な人生を見ていたら、何とも心が痛みました。

映画作品としては素晴らしいと思います。3時間半近い長編かつセンシティブなテーマを扱っているにもかかわらず、重苦しさは感じさせません。それどころか、色鮮やかなスーツに身を包みダンスホールを躍動するシーンは圧巻。当時の記録映像も交えながら、最後はネルソン・マンデラ氏が登場してメッセージを発するなど、人種差別について考えさせられる作品となっています。

1.09.2010

『Twilight』/Stephenie Meyer

以前から素敵な表紙で気になっていたこの本。オーストラリアでは続編の映画公開間近ということから書店で山積みセールになっており、購入してみました。

田舎町の高校に転入した女子生徒と、抜群の美貌を持つ男子生徒の恋物語。男子生徒が実はヴァンパイア(ただし、人の生き血は吸わず、人と共存することを選んでいる)で、その得意な能力で彼女を守るというもの。学園ものファンタジーという設定やシリーズ化していることから、ハリポタと比較されることが多いようです。

残念ながら僕に取っては時間とお金のムダとなってしまいました。登場人物たちに最後まで感情移入できませんでした。ヴァンパイヤだけにありえない能力を発揮しちゃうんですもの。ある意味、少女趣味のファンタジーというのは30代男性とは最も相容れないジャンルかもしれません(そもそも内容もよく知らずに購入したのがいけなかったのですが…)。

1.08.2010

『リヴィエラを撃て』/高村薫

今でもよく覚えています。1992年、初めて本書が世に出たときのことを。ずっと読みたいと思っていながら時は経ち、ようやく読むことができました。そして、期待に違わずすごい小説でした。一文一文がズシリと重く、気軽に読み進めることなど到底できません。北アイルランド紛争や国際政治についての基礎知識と相応の覚悟を備えた上で挑むことが求められます。それだけに、読み終わったときには清々しい充実感がみなぎります。

著者が女性だということに当初驚かされましたが、すぐに合点がいきました。この人はいい意味での「夢見る夢子ちゃん」なんだと。主要登場人物たちは皆、ルックスがよく、知的で、勇敢で、義理人情に厚い。男性読者からすれば「こんな男いるわけない」となるわけですが、これが女性視点での理想の男性像なのでしょう。著者は、そんな理想のイイ男たちによるハードボイル・サスペンスを、小説という虚構の世界で紡ぎたかったのだと思います。

余談ですが、本書を読むときのBGMにはやはりU2やクランベリーズなどのアイルランド系が相応しいです。ボノやドロレスの哀愁を帯びた叫びが、本書に度々登場するアルスターの風景と絶妙にシンクロします。