1.25.2011

『ソーシャル・ネットワーク』

久々の更新となりました。しばらくブログから離れツイッターに軸足を移していたのですが、やはりある程度まとまった考えを書こうと思ったら140字は短すぎました。

さて、話題の映画『ソーシャル・ネットワーク』を見てきましたが、期待に違わぬ大傑作でした。今や全世界に5億人の登録者を抱え、総アクセス数でグーグルを抜き、世界一のウェブサイトとなったフェイスブック。ハーバード大学在学中にフェイスブックを立ち上げ、弱冠26歳にして最年少の億万長者となった男マーク・ザッカーバグの物語です(フェイスブック側は認めていないようですが)。

この映画の何がすごいって、とにもかくにも脚本です。映画はマークとガールフレンドの口論から始まり、彼のうっとうしいまでの理詰めの追及から、その頭脳明晰ぶりや変人ぶりがまず明らかにされます。しかし、実はこれ以降、マークが自分の考えを表明する場面はほとんど登場しません。映画の大半は、訴訟シーンと周囲の人たちのマークとの関わりや感情のフラッシュバックだけ。これでマーク・ザッカーバーグという人間を浮き彫りにしていくわけです。例えれば『市民ケーン』と同じ構図(実際、本作を“21世紀の『市民ケーン』”と評するレビューも目にします)。

それにしても、最先端のテクノロジーを駆使し、生き馬の目を抜くビジネスに身を投じる若者たちを描いているにもかかわらず、そこで渦巻くのはカネ・友情・嫉妬・権力・階級といった人類普遍のテーマであることに何とも切なくなります。『ソーシャル・ネットワーク』というタイトルは、創業者が最も社会性がないことの皮肉に思えてなりません。いずれにせよ、旬のネタをこれほど見事に調理したデイビッド・フィンチャー監督の手腕に脱帽です。

唯一残念だったのは、トレーラーで流れていた「クリープ」(レディオヘッドのカバー)を本編でもエンドロールでも耳にしなかったこと。この曲はまるで教会で歌われる賛美歌のように幽玄な響きがあるのに、内容は“変態”について。これほどマーク・ザッカーバーグを的確に表現しており、この映画を締めくくるのに相応しい曲はなかったと思うのですが。