4.22.2010

アイスランド火山噴火で実感した「ワールド・イズ・フラット」。

アイスランドの火山噴火。遠い所での出来事かと思いきや、意外にも影響をモロに受けています。

例えば仕事においては、エンジニアが日本に出張に来れなくなり、サーバーの調子が悪く仕事がはかどらない。例えば今週末の友人結婚式においては、イギリスから来るはずだった友人夫妻との久方ぶりの再会がおじゃんに。例えばアマゾンで購入した洋書が、届くのに3週間以上かかるとの連絡を受けたり。

世界は狭くなったと実感した次第です。

4.15.2010

『月に囚われた男』

あのデイビッド・ボウイの息子、ダンカン・ジョーンズの長編初監督作品。大好きなSF映画ということもあり、躊躇なく見に行くことにしました。

個人的には、『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』に匹敵する傑作だと思いました。というか、両作品へのオマージュと言ってもいいほど、随所に影響が。

近未来。ルナ・インダストリー(いわゆる資源メジャー)に雇われ、3年任期で一人、月へと資源の採掘に派遣された男の物語。唯一の話し相手は身の回りの世話をしてくれるガーティというコンピュータ。地球で待つ妻と幼子に会えるのを心待ちにしながら、黙々と任務をこなしていきます。ところが、任期終了まであと2週間というところで、幻覚を見るようになったり、誰もいないはずの基地に自分と瓜二つの人物が現れるなど異変が…。ガーティの制止を振り切り、謎を解こうとするサム(この場面は、『2001年宇宙の旅』のボーマン船長とHALのやりとりを彷彿とさせます)。そこで驚愕の事実を知ることになるわけです。

ネタバレになってしまいますが、すぐに分かることなので言ってしまいましょう。要は彼はクローンだったのです。つまり、妻や幼子というのは彼の記憶に埋め込まれた虚構で、彼はルナ社にいいように利用されていたわけです。この場面、自分の出自を知ったサムの心情にどこまで感情移入できるかで、この映画の印象や評価は大きく変わってくるでしょう。

『ブレードランナー』は、自分たちが人間ではないと知ったレプリカントたちが、自分たちを作った企業に復讐しに行く映画。『ブレードランナー』が素晴らしいのは、レプリカントを通じて「人間とは何か」という根源的な問いを発しているからです。『月に囚われた男』も、クローンを通じて同様のテーマを投げかけているわけです(サムがルナ社に復讐しに行ってもおかしくないでしょう)。SF映画って空想だからこそ大胆な設定や極論を展開できるわけで、思い切りのいいテーマに挑戦したダンカン・ジョーンズに拍手です!

そして余談ながら、どうしてもボウイの影を見てしまいました。主人公サムは、ボウイの初ヒット曲となったSpace Oddityのトム少佐を地で行くようだし(後に明かされたように、実は麻薬中毒者で幻覚を見ていた点も相通じます)、ボウイが宇宙人を演じた映画『地球に落ちてきた男』の逆バージョンにも思えます(だから邦題も『月に囚われた男』なのか? ただし、原題はシンプルに「Moon」)。この映画はイギリスでは新人映画賞などを総なめにしたそうですが、親子そろって「月」つながりの作品が出世作となるとは…!

http://moon-otoko.jp/

4.07.2010

桜の下で感じた異文化。

先週土曜日はお花見。いつもの友人たちやアメリカ人たち、さらにその友人たちといった雑多な人たちが集まり、総勢20名近くの大所帯に。代々木公園の穴場に陣取り、次から次へとやってくる参加者たちをうまくさばくなど、終了後はCHO(Chief Hanami Officer)としての責務を無事に果たした満足感に包まれたのでした。

参加者の中にこれまで出会ったことのないような出自を持った女性がいました。彼女はハワイ出身なので国籍としてはアメリカ人なのですが、タイ人、ハワイ人、スイス人、アラビア人、日本人、沖縄人という多国籍な血が混じった人物(親がいずれもハーフだったりクォーターだったり)。顔立ちももちろんエキゾチック。複数のアイデンティティを持つ人物だけに、文化論に関しても一家言持っており、アメリカとハワイを一緒に論じてはいけないのと同様、日本と沖縄も違うカルチャーとして論じるべきだ、などと主張しておりました。

このような新しい人たちと出会う場になると、英語の良さを感じます。日本語だとどうしても最初は敬語になり、それとなく相手の年齢を聞くことから関係性を規定しようとします。もちろん敬語には敬語の良さがあるのですが、どうしてもよそよそしくなってしまいます。でも英語には敬語がないので、初対面の相手ともフランクに話せるのがいいですね。自分でも、日本語を話しているときと英語を話しているときで人格が変わるのを感じます(英語のときの方が明るくオープン)。

均質的な日本との彼我の差を強く感じさせられた1日でした。