1.30.2008

冬のオペラグラス

ここ数ヶ月、僕の頭の中では元おニャン子クラブの新田恵利の「冬のオペラグラス」という曲が繰り返し鳴り響いています。

中学生の頃にヒットしたと記憶していますが、どうやらオーストラリア旅行を企画する中で、シドニーの名所オペラシティから連想されたようなのです。そしたら偶然にもオーストラリア帰りのJALの中でこの曲が流れていて、20数年振りの邂逅を懐かしんだりして。

本当にどうでもいいことでしたね。

1.29.2008

Another Edinburgh night.

昨夜は、月曜の夜からディープな飲み会となりました。ロンドンに住むH子さんがフィアンセのイギリス人Peterと一緒に一時帰国。そこで、K子、Kちゃん、Yos、Stimulantsというエジンバラ留学時代の面々が集うことになったのです。

このメンツが集まったらただでさえ大変なことになるのに、Kちゃんが10年以上も昔の写真を引っ張り出して持ってきたものだから、さらに大騒ぎに。日本語と英語が飛び交ってのトークが炸裂しました。

僕はこのメンツに会うと、いつも刺激を受けます。象徴的なのは、写真を見ても10代後半~20代前半の当時と比べ、外見がそれほど変わっていないこと。年齢に関わらず、皆とてもいい表情をしているのです。現在は、外資金融、アーティストのマネージャー、グラフィックデザイナーなどそれぞれの道で、自分のバックグランドを活かしながら活躍しています。

彼らが輝いているのは、確固とした「軸」を持っているからだと思っています。皆、英日バイリンガル(Kちゃんは北京語も話すトライリンガル)というだけでなく、世界で通用するマインドセットを持っているのです。学生時代という多感で大切な人格形成期を海外で過ごしたことで、自己のアイデンティティを確立したり、日本を客観的に見る視座を手に入れたりと、揺ぎないベースができあがったのではないでしょうか。

大げさなことを言えば、日本を変えるのはこんな連中ではないかとすら思ってしまうのです。

1.28.2008

Softbankの軍門に降った日。

週末に携帯電話を変えました。それもただの機種変更ではなく、長らく使っていたauを離れ、Softbankへ乗り換えるという大英断でした(大げさな…)。

理由は2つあります。まずは料金。ヨメが以前からSoftbankだったため、家族割にすれば通話もメールも24時間無料。月々の使用料をシミュレーションしたところ、auよりいくらか安くなります。それにau時代は毎月の無料通話分を使い切ることなど一度もなく、利用明細を見るたびにクシャクシャにしてゴミ箱に捨てるなど苦々しい思いをしていたのですが、そんなムダもなくなります。

でも、それだけでは、わざわざ面倒を冒して携帯キャリアを変えようと思うまでには至っていませんでした。今回背中を押したのは、機種のデザインです。以前からSoftbankは(Vodafone時代とそれ以前も含め)、あまりイケてる機種がないと思っていました。デザインが悪いものは、どんなに性能や使い勝手がよくても愛着がわきません。それが今回初めて「持ってみたい」と思える機種が出たのです。これが決定打となりました。

消費者側に立ったサービスと、優れたデザイン。Softbankという会社の評価は賛否両論ですが、少なくとも僕にとっては有益な価値を提供してくれたのでした。

1.25.2008

オーストラリア紀行10/大らかでフレンドリーなオージーたち。

街の魅力は人の魅力である――これは世界中を旅してきた中で実感することです。

どんなに街が美しくても、人の顔が曇っていたり、人を信用できなかったらその街の魅力は半減します。例えば、モスクワはそんな理由から好きになれなかった街の一つでした(ただし、僕が行ったのは1993年。冷戦後間もない混乱期だったので、今は違うかもしれません)。

その意味で、オーストラリアの魅力はまさにオージーたちの魅力。とにかく人が大らかでフレンドリーなのです。

「お前この間も来ただろう?」「いや、昨日オーストラリアに着いたばかりだけど」「じゃあ、お前の兄ちゃんだな。ハッハッハ」と一人でぼけて笑い飛ばしたカフェの店主。

お昼時のfish marketのレストランで相席になったことから打ち解けたオージーの老夫婦。旦那さんは以前この市場で働いていたとのことで、ロブスターの上手な食べ方を伝授してくれました。

街中で写真を撮っていたら「Smile, sir!」と声をかけてくれた兄ちゃん。

住宅街を散歩中、かわいい飼い犬と一緒のショット撮影を申し出てくれたおばあちゃん。

さわやかな笑顔で、なぜか旅行者の僕らに道を尋ねてきた女性。

僕らの嗜好を聞き出した上で、丁寧にオススメのイベントを紹介してくれたシドニーフェスティバルの案内係の人たち。

こうした現地の人たちとの交流が旅を彩ってくれました。

アングロサクソンもいれば、黒人、アジア系、ポリネシア系など人種は様々。英語のなまりも人それぞれ。とにかく多様性に満ち溢れているのです。黄色人種の旅行者の僕らも奇異な目で見られたり、差別的な扱いを受けるなんてことも一度もありませんでした。オージーたちは皆、笑顔でフレンドリーなので、こちらもすぐに心を開いてしまうのです。

特にシドニーは、僕にとってコスモポリタン都市の理想郷。磁場が自分に合っているということを即座に実感しました。

また戻ってきてみたい。それも今度は移住者として。そんな夢を抱かせるような旅でした。

1.24.2008

オーストラリア紀行9/シドニーで食した、モダン・オーストラリア料理の真髄。

オーストラリア滞在最終日。少し贅沢してもいいかと思い、やや高級なレストランに行くことにしました。そこで選んだのが、Cafe Sydney。抜群のロケーションとお洒落なインテリア、そしてモダン・オーストラリア料理を提供することで有名なお店です。そして結論から言えば、最後の晩餐にふさわしいものとなりました。

予約もせずに行ったら、土曜の夜ということもありテーブル席は予約で一杯。でもラッキーなことに、ラウンジが空いていました。テーブル席の方がハーバーブリッジが見えるなど絶景なのですが、ラウンジも来店してくるお客さんたちがよく見え、楽しめました。客層も、土曜の夜を満喫しようとお洒落してきているオージーばかりでした。

最初に前菜としてSydney Rocksという牡蠣をオーダー。その名の通りシドニーでしかとれず、すぐに地元で買い取られてしまうため、他の地域にまで回らないとのことです。日本の牡蠣よりも小ぶりで、丸っこい形状をしています。口に入れたとたん、驚きました。本当に「とろける」という表現がピッタリなのです。ヨメと「これまで食べた牡蠣で一番おいしい」ということで同意。

次にメインとして、バラマンディというオーストラリア固有の白身魚のグリルと、魚介類のブイヤベースを頼みました。バラマンディは、ぷりぷりとした食感がたまりません。鱈に似た感じでしょうか。ブイヤベースは、地産の海老、蛸、ムール貝、あさりなどを煮込んでおり、出汁が最高。やや辛口なのは何かのスパイスが入っているのでしょうか。日本ではまず食べられない味です。付け合せで頼んだグリーンサラダも、ドレッシングにオリーブオイルとバルサミコがほどよくブレンドしてあり絶品でした。

これらは、モダン・オーストラリア料理と呼ばれるもの。素材のよさを生かしながら、各国の調理法で自由な発想をもって味付けしていく。移民の国ならではのダイバーシティあふれる料理です。

そして、もちろんオーストラリアワイン。オーダーした料理に合うようにと、白ワインのセレクトを店員に任せてみたところ、こちらも満足のいくものでした。

最後はデザートワインを飲みながら、ゆっくりとオーストラリア最後の日を楽しみました。お会計は計200ドル(約2万円)あまり。それだけの価値は十分にあると思います。ヨメにも喜んでもらえたみたいで、最高の思い出ができました。

本当は写真をお見せしたかったのですが…、デジカメの充電が切れるという大失態。その代わり、記憶の中に味と思い出を克明に刻んでおきました。

http://www.cafesydney.com/

オーストラリア紀行8/スーパーは最高のおもちゃ箱。

オーストラリアの物価は安くありません。日本と比較して同程度かやや高いくらいでしょうか。学生時代までは、海外はたいてい日本より物価が安く、財布の紐も緩んだものだったのですが…。この10年ほどの間に日本の経済力が相対的に低下しているのを実感します。

オーストラリアにもいわゆるコンビニがあるのですが、値段は非常に高い。スーパーに比べ2~3倍程度するものもあるようです。何より怖いのは、値段が書いていないこと。一度、日本だったら50円程度で売ってそうな小サイズのポテトチップスを買おうとレジに持っていったら2ドル(約200円)だと言われ、思わずつき返してしまいました。

そこで、ちょっとした飲み物やパン、フルーツは、スーパーに行って買うようにしていました。

スーパーは非常に楽しいです。オーストラリアのスーパーは、色々な意味でスケールがでかい。売り場は広々としており、果物や野菜は日本では考えられないくらいの大きさ。きゅうりなんて、この世のものとは思えません。牛乳など飲み物もバケツと見紛うようなサイズだったり。お菓子や缶詰のパッケージは見ているだけで楽しいですし、かと思えば着色料をふんだんに使っているようなとてつもない色をしたお菓子が売っていたり。

現地の人たちの生活が垣間見れるスーパーは、僕らにとって最高のおもちゃ箱です。

1.23.2008

オーストラリア紀行7/オーストラリアのサッカー。

オーストラリアでは、サッカーは決してメジャースポーツではないようです。その証拠に、テレビやパブにおける放送も、ちょうど開催中の全豪オープンテニスやクリケットに押されていました。もちろん、冬場(といっても、ほぼ常夏なのですが)はラグビーやオージーボールが大人気なのでしょう。

それでも3年前にA-Leagueというプロサッカーリーグが発足し、徐々に人気は上がってきているようです。8チームが3回ずつ21試合を戦って順位を決め、上位4チームが優勝決定戦に進出。そこからはトーナメント形式で総合優勝が争われます。ちなみに日本でも知られているSydney FCには、3年程前にカズが在籍していたことがあり、現在は元ブラジル代表のジュニーニョ・パウリスタがプレーしています。

試合やハイライトをいくつか見ましたが、ゴールシーンを見る限り、それほどレベルは高くありません。ディフェンスラインの連係ミスによる得点が多数を占め、迫力のあるゴールシーンはあまり見られませんでした。Jリーグの中堅から下位チーム同士の対戦といったレベルでしょうか。

また、サッカー雑誌Four Four Twoを買って読んでみましたが、その記事のクオリティやサポーター同士の対談を見る限り、サッカージャーナリストの目もファンの目もそれほど肥えているわけではなさそうです。

ただ、この雑誌に掲載されていたティム・ケーヒルのインタビューを読んで、一気に彼のファンになってしまいました。ケーヒルって覚えてますか? そう、2006年W杯の日本対オーストラリア戦で、試合終盤に2ゴールをあげ、日本中を悲鳴の渦に陥れたあの男です(試合は3-1でオーストラリアの勝利)。

プレミアリーグのエバートンでその活躍は目にしていましたが、人間的にもものすごい人格者だということが分かりました。オーストラリアで頭角を現した彼が、海外移籍の第一歩を踏み出したのは、イングランドのミルウォールというクラブ。いきなりビッグクラブではなく、中堅クラブで実績をあげていこうという考えは地に足がついています。また、非常に家族とファンを大切にすることでも知られているそうです。性格も温厚で、好青年とのこと。確かにプレー中に激高している姿など見たことありません。最近では、子ども向けのサッカー絵本を出版し、夢を持つことの大切さを訴えるなど、活動の幅を広げています。

オーストラリア代表はアジア入りしたため、今後も日本の宿命のライバルとなっていくかもしれません。日本を応援しつつも、ケーヒルとサッカールー(サッカーのオーストラリア代表チーム)には注目していきたいです。

オーストラリア紀行6/Days at Sydney.

シドニーに到着してすぐ、ここは僕の中で「超」がつくくらいお気に入りの街となりました。

石造りの重厚な建物はロンドン、近代的な高層ビル群はニューヨークを彷彿とさせます。ただ、それらの大都市に比べ、シドニーは中心街がもっとコンパクトにまとまっており、人もそれほど多くなく、歩いていて本当に気持ちがいいのです。世界3大美港の一つとされるだけのことはあります(ちなみに他の2つはサンフランシスコとリオデジャネイロ。ナポリや香港を入れる説もあるようです)。

自治体も景観維持には力を入れており、人の目につくところには洗濯物を干してはいけないとか、厳しいルールを設定しているそうです。

主要な通りさえ覚えてしまえば、割とすぐに街を把握できます。勝手知ったるかのように街を歩いていたせいか、シドニー初日にして白人女性に道を尋ねられるなんてことも。

街の魅力はそこにいる人々が作るものですが、その意味ではシドニーは魅力あふれる街です。服装もファッショナブルですし、どこかへ急ぐために駆け足の人なんて皆無。皆さんマイペースなのです。何より人々の顔がイキイキしています。滞在したのが週末にかけてというのも大きかったかもしれません。社会保障がしっかりしているからホームレスも物乞いも不在。ついでながら、タバコを吸っている人もほとんど見かけませんでした。先進国の主要都市にしては珍しいのではないでしょうか。

毎年1月26日はAustralian Day。日本で言う建国記念日なのですが、街の到るところにポスターなどが貼られ、国全体がその日を心待ちにしているのが伝わってきます。そして、1月26日を祝うべく、その日を最終日に約3週間にわたってSydney Festivalが開催されていました。

この期間中は、コンサートや演劇など様々なイベントが開催。僕らの泊まったホテルの部屋からもDarling Harbourで行なわれていた前衛劇団による演劇と花火を見ることができました。

どこを切り取っても絵になる街です。

オーストラリア紀行5/Qantas初搭乗。

4日目、Gold Coastを離れSydneyへ向かいました。

国内の移動では、初めてカンタス航空を使用。カンタスと言えば安全性です。映画『レインマン』でのダスティン・ホフマン演じる自閉症の兄とトム・クルーズ演じる弟の会話シーンが印象的です。驚異的な記憶力を持つ兄は、数々の航空事故の数字を列挙して飛行機での移動を嫌うものの、カンタスなら死亡事故を起こしたことがないから乗ってもいい、と言うのです。もちろん乗り心地が何ら変わるということはなかったのですが、心なしか安心して乗れました。

カンタスのロゴは、オーストラリアを象徴する動物カンガルー。ノロマなイメージのコアラにしなかったのは当然というべきでしょうか…。

1.22.2008

オーストラリア紀行4/眺めのいいパブでビールとオージービーフ。

旅の醍醐味は何といっても食事。旅先での最大の関心事です。

旅先での食事の回数は限られているため、まずいものを食べている暇などありません。街を散歩しているときから、よさそうなお店をチェックしておき、ピンポイントで訪問するのです。

Gold Coastで一番よかったお店がこちらTitanium Bar。ラウンジやスポーツバーなどから構成された、こぎれいなお店です。運河沿いの眺めのいい席でそよ風に吹かれながらビールを味わうなんてことも。ついでながら、店員はきれいなお姉さんが多いです。

ランチも充実。ランプステーキは9ドル90セント(約990円)で食べきれないほどの量がやってきました。肉は非常に柔らかくてジューシー。オージービーフの面目躍如といったところです。



あまりに居心地がよくて、3時間くらい居座ってしまいました。

http://www.titaniumbar.com.au/

オーストラリア紀行3/捕鯨問題に関する彼我の差。

旅行中は居心地のよさそうなカフェを見つけ、コーヒー飲みながら新聞や雑誌を読むのが好きです。オーストラリアでは、The Australians、The Courier Mail、Sunday Telegraphなどを読みました。

そこで度々目にしたのが日本の捕鯨問題。調査捕鯨船・第2勇新丸に環境保護団体シー・シェパードのメンバー2人が乗り込んで抗議したというニュースです。

このニュース、僕の想像では、日本とオーストラリアでは報道のされ方が180度違うのではないでしょうか。

オーストラリアのメディアは、捕鯨に関して一貫して反対の立場をとっていました。仮に違法ではないとしても、倫理的にやってはいけない、というのがその主張。それだけに、まるで日本人が理性のない獰猛な人種であるかのような書き方をしている新聞もありました。それはシー・シェパードの2人に対する扱いに関してもそう。捕えられ、帆に縛られ甲板に放置されたと報じられ、その家族が安否を心配している様子を載せたり。ラッド首相は日本に抗議すべきだとか。

オーストラリアにとって、日本は最大の貿易相手国なので大切なお客様。また、雑誌の取り上げ方からも、日本に対する憧れや尊敬の念のようなものも感じました。でも、捕鯨問題に関しては全く別のようです。

このニュース、日本ではどのように報じられていたのでしょうか?

オーストラリア紀行2/散歩好きにとっても楽園。

2日目はGoald Coastを歩いて散策しました。

街中を歩いていて思うのは、電柱がなく道が広いこと。散歩好きにはたまりません。また、人口そのものが少ないためか、あまり人とすれ違うこともありません。まれに人とすれ違うときも、お互いに相手を認識した段階で「自分は左側を行くよ」などと早めに意思表示してくれるので、快適に歩けます。

また、街の中心部に広くてきれいな公園があることもうれしいです。青々と茂った芝生に感激。何を隠そう、僕は芝生が大好きなのです。子どもの頃イギリスに住んでいたときは、よく庭に水をまいたり、芝刈りしたりと、手入れをしていました。今でもたまに、芝生職人になりたいと思うことがあるほどです。

芝生に大の字に寝転がって疲れを癒す。至福の瞬間です。

1.21.2008

オーストラリア紀行1/地上の楽園。

「ここは東南アジアか?」。ブリスベン空港に降り立ったときの第一印象でした。そう思うくらいに蒸し暑かったのです。飛行機に乗ること約8時間。南北の移動だけなので、日本との時差は1時間だけ。意外と身近だなと感じました。

最初に行ったのはDream World。動物園と遊園地を合体させたようなアミューズメントパークです。ここで、まずコアラとカンガルーというオーストラリアを代表する2つの動物たちと遊んできました。

コアラは毛がふさふさしていて、予想以上にかわいかったです。ユーカリの葉だけを食べ、1日平均20時間寝るとのことで、本当に大人しい動物。でも以外と俊敏なところもあり、木から木へ飛び移る姿が見られました。ちなみにコアラとは「水を飲まない」という意味だそう。


カンガルーは、まるで奈良の鹿みたいに人懐っこく、餌をあげたりしました。本当にお腹の袋に子どもを入れていたのにはビックリ。足もとても筋肉質で長くて、走ったら速そう。でも、こうして寝そべっている姿はまるで「日曜日のお父さん」ですね。カンガルーはアボリジニの言葉で「わからない」の意だそう。

こちらはタスマニアンデビル。その奇怪な鳴き声が「悪魔のようだ」と命名されたそうです。ただこの日は寝てばかりで、残念ながら鳴き声は聞けませんでした。




名物の絶叫マシーンGreat Drop。地上120メートルからのフリーフォールはスリル満点! 一瞬、身体が宙に浮いたほどです。頂上からはオーストラリアの広大さも一望できました。


それにしてもオーストラリアには独特な動物たちをはじめ、不思議がいっぱい。西欧文明から隔離されていただけに、自然が残され、独自の発展を遂げたのでしょう。まさに「地上の楽園」と呼ぶにふさわしい大陸です。

Back Home

1週間のオーストラリア旅行から帰ってまいりました。

オーストラリアは僕にとって「楽園」でした。温暖な気候、広大な土地、美しい自然など豊かな天然資源を持っているため、人々は全くあくせくすることなどなく人生を謳歌しているように見えます。出身地、人種、国籍なども問題にならず、オージーであることに誰もがプライドを持っているように感じました。

わずか1週間の滞在でしたが、そんなオージーライフの一端に触れる中で感じたことを、少しずつアップしていきたいと思います。

1.13.2008

『アース』

ドキュメンタリー映画『アース』を早速見に行ってまいりました。素直に「すごい」と思える映画です。

物語は地球の成り立ちから始まります。50万年前に隕石が衝突したおかげで、地球は23.5度傾いてしまう。ところが、この傾斜によって多様な地形や四季の移ろいが生まれ、生命が生息するための条件もそろった。無限の宇宙で隕石が惑星に衝突する確率は限りなくゼロに近いのに、地球はそれが起こった奇跡の惑星であると。

『ディープ・ブルー』『WATARIDORI』など自然を扱ったドキュメンタリーはどんなフィクションよりも面白いと個人的には思っています。その中でもこの映画が素晴らしいのは、徹底して地球の苦悩をテーマにしたことでしょう。絶滅寸前のアフリカ像、ホッキョクグマ、ザトウクジラの三者を「主演」にしたオムニバス形式でストーリーは展開し、その他様々な動物たちが「共演者」として登場します。そして、映画には登場せずとも、私たち人間は「悪役」として重要なパートを演じていることが伝わってきます。その意味で、『アース』は地球の悲鳴を一般の人にわかりやすく翻訳した映画だと言えるかもしれません。

もちろん、そんな難しいことを考えなくても、十分に楽しめます。「どうやって撮影したのだろう?」と思うような驚愕な映像のオンパレードは圧巻です。この映像美はやはり大画面で見るのがベストでしょう。ついでながら、BBCが制作しただけあって、どこかユーモラスなナレーションも楽しめました。

http://www.loveearth.com/jp/film/

1.10.2008

『おひとりさまの老後』/上野千鶴子

日本を代表するフェミニズムの論客で、タレントの遙洋子さんの著作『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』によれば「日本一怖い女」の異名を持つ女性。それが上野千鶴子先生。

実は、僕は編集者時代に先生の連載を担当していたことがあります。社会学者なのでおカタイ文章ばかりかと思いきや、エッセーも非常に得意で、並の専業エッセイストよりもよほど軽妙洒脱な文章を書かれます。そこで、旅をテーマにしたエッセーを連載してもらうことにしたのです。

初めて東大にある先生の研究室を訪問したときのことは忘れません。前述の遥洋子さんの著作を読んでいただけに戦々恐々として伺ったところ、意外とやさしそうな人に見えました。少し安心し、気を緩めてしまったのがいけません。ある作家の新作に関して、僕は軽はずみな発言をしてしまったのです。その途端、彼女の眼鏡の奥で鋭い瞳が光りました。即座に突っ込まれ、たじたじになったのは言うまでもありません。どうやらその作家のことをいたく嫌っていたようなのです。

それ以降、先生にお会いするときは戦場に赴くような緊張感に包まれたものです。ですが、知識の幅広さや見識の深さはもちろんのこと、ユーモアあふれる人間性にどんどん惹かれていきました。

さて、そんな先生の最新作がこの本。タイトルからは介護をテーマにしたかのような印象を受けますが、要は理想の老後と死に方とはどういうものかを通して、人生をいかに楽しむべきかを論じているのです。

相変わらずのシングル主義者で、「おひとりさま」の方が人生を楽しめると公言してはばかりません。正直、独身時代に比べたら共感できる部分はだいぶ減ってしまいました。また、『スカートの下の劇場』や『発情装置』といった代表作に比べたらキレもないように思います。幅広い層の読者に読んでもらおうと、あえて軽いタッチにしたのだとは思いますが。それでも、節々に見られる上野節は健在。たしかに、結婚していようがいまいが、最後は皆一人になるわけです。これからの時代、年金をはじめあてにできるものも減ってくるわけで、そんな状況下でも人生を満喫するためのノウハウを教えてくれます。

そして、この本は主に女性向けに書かれているのですが、あとがきの最後に一言だけ男性へのメッセージが。引用させていただきます。

「なに、男はどうすればいいか、ですって?
そんなこと、知ったこっちゃない。
せいぜい女に愛されるよう、かわいげのある男になることね。」

さすがです。

1.08.2008

またしても異文化の壁。

仕事始めから2日。年間のビジネス計画を立てるための長い長いミーティングが、連日行なわれています。

アメリカでは歴史と権威に裏付けらている我が社ですが、日本では全くと言っていいほど知名度がありません。なのにアメリカ本社はその実態が理解できないよう。いくら日本式のビジネス慣習を説明したところで、なかなか理解が得られません。異文化の壁という、例の怪物がまたしても頭をもたげているわけです。

僕にとって、英語でのプレゼンは日本語で行なうのに比べ倍ぐらいのエネルギーを要します。というわけで、1月初旬にしてすでに終盤戦なみに憔悴しきっているのでした。

1.06.2008

新時代の夫婦像?

鎌倉に住む友人夫妻のお宅にお邪魔してきました。

築30年以上の集合住宅を購入し独自にリノベーション。旦那さんが自ら工事を手がけ、アンティーク調の家具やら独特な品々が配置された、とても居心地のいい空間になっています。これからの時代の持家のあるべき姿の一つを提示してくれているように思います。



















でも、特筆すべきはこの夫妻そのものでしょう。一流企業に勤める旦那さんは、独身時代と結婚後もしばらくノルウェーで仕事していたことがあり、視野が広く独自の価値観をお持ちです。そのためか、奥さんに対してもストイック。結婚してまだ数年だというのに、奥さんに英語力とたくましさを身につけさせようと、半年間も海外修行に送り出していたのですから。こんな夫婦関係、聞いたことがありません。奥さんも以前から鋭い批評眼と毒舌で鳴らしていたのですが、それにさらに磨きをかけて帰国したように思います。

なれ合いになることなく、お互いに自立した生き方を実践する。それでも根本のところではきちんとつながっている。これも新時代の夫婦像の一つなのかもしれません。

1.05.2008

『長いお別れ』/レイモンド・チャンドラー

「ギムレットにはまだ早すぎるね」というセリフで有名なハードボイルド小説。以前からずっと読みたいと思っていながら、長さに尻込みしていたのと、その世界観に入り込むには日常から隔離される必要があると感じ、なかなか手をつけていられなかった一冊です。

最近ではあの村上春樹氏が新訳『ロング・グッドバイ』を出したことが話題になっていましたが、アマゾンのカスタマーレビューを比較検討した結果、古くからのファンから支持されている清水俊二氏の訳で読むことにしました。

ある大富豪の娘が惨殺され、夫が容疑者として手配されます。その夫も逃亡先のメキシコで自殺を遂げたとされますが、その死には謎が多い。私立探偵フィリップ・マーロウは生前の夫と酒(ギムレット)を飲み交わしたことがあり、その人間性にほれ込んでいたことから、彼の無実を信じ、独自に捜査を開始します。そして別の事件をきっかけに、真相が解明されていく…というのが大まかなストーリーです。

作家には「この1文のために」という作品があるようですが、この小説もまさにそう。終盤に出てくる「ギムレットにはまだ早すぎるね」の1文を語るために、チャンドラーは壮大なミステリーと人間模様を構築したのでした。それ以前のストーリーは、この言葉に重みを持たせるための伏線に過ぎません。

マーロウの生き方は非常に男っぽく不器用で、効率優先の現代社会では通用しないでしょう。それだけに、どことなく憧れを抱いてしまうのです。

1.03.2008

一年の計は元旦にあり?

新しい年を迎えるたびに思い起こすのが、現役時代の中田英寿氏の発言です。「今年はどんな年にしたいですか?」という質問に対する回答でした。

「どんな年と言われても、年が変わったから考えが変わるわけではないし、考え方は積み重ねていくものだというのが自分の考えですから。年というより、明日をより良くしたいという、毎日の話なんで」。

確かに、何か事を始めようと思えばいつでも始められるはず。暦などの区切りは本来は関係ないはずですものね。新年になると「1年の計は元旦にあり」などという化石のような言い伝えにしばられる人たちの多い中で、外的要因に左右されないこのスタンスこそ大切なんだと思います。

香川にて新年を迎える。

年末年始は、ヨメの両親の実家のある香川で過ごしてきました。

紫雲山の頂上から瀬戸内海を見下ろし、日本昔話に出てきそうなこんもりとした山々と瀬戸内海の美しさに感動し、






これを見たものは健康で長生きできるという銭形砂絵を拝んで、







義理の祖父母から絶大なる歓待を受け、讃岐うどんをたらふく食べてきました。

昨年に次いで二度目の訪問。首都圏で生まれ育っただけに、田舎ができるというのはなかなかうれしいものです。