5.10.2008

帰国子女は貴族?

日経新聞土曜版『日経PLUS1』に連載中の『赤坂真理のうらやましい悩み』。いつも一味違った視点からの辛口回答が興味深いのですが、今日は帰国子女についての考察がなされていました。

質問者の20代女性は、帰国子女というだけで職場で英語力を期待されたり、もっと英語力を活かせる仕事をすべきだ、などと言われるのが苦痛とのこと。それに対する赤坂さんの答えは、「メリットも受けたのでは?」。

曰く、最近の女性誌では帰国子女は「お嬢様」と同じ扱いだというのです。貴族という生れながらの属性のように、語学力とステータスを持ち合わせている。だから、質問者の悩みは「貴族であるのがイヤ」と同じワガママなのだと。帰国子女を貴族扱いする周囲が本来は間違っていることを認めつつ、その誤解を含め有利に働くことがあるはずだと述べています。

僕自身、帰国子女の一人として言わせてもらえば、この回答は質問者の意図とずれていると思います。

帰国子女の悩みの本質は、自分の意志で海外に行ったわけではない、ということです。親の仕事の都合でいきなり異文化に放り込まれる。最初は言葉も全く通じず、好奇の目にさらされる。日本人としてのアイデンティティも確立していないので、現地に溶け込もうと必死になる(これらの点において、高校くらいから自発的に海外留学した人たちとは大きな違いがあります。自分の意志で行った人たちは、どんな環境の変化にも前向きに取り組めるでしょうから)。そして、語学も考え方も現地に順応したと思ったら帰国することに。

帰国後は、それ以上の苦悩が待ち受けています。均質であることが絶対の日本社会で、同じアニメやマンガやヒット曲を共有していないことによる心労。中学以降は英語ができて当然だと周囲から見られるプレッシャー(発音とリスニング力は別として、小学生が話すような英語で高校受験や大学受験に有利のはずもなく)。なのに、日本語も普通に扱えることは評価の対象にはならない(仮に英語圏に住んでいた人が英語力を手に入れたとして、それと引き換えに日本語力を失ったというふうには思い至らないのでしょうか?)。ちょっと違う考えを述べれば変人扱いされる。シャイだった僕は必然的に帰国子女であることを隠すようになりました。自分から話すことはまずなかったので、今でも僕の友人の中には、僕が帰国子女だということを知らない人が少なくないはずです。

今では貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。でも、そんな属性を僕が前向きに捉えられるようになったのは、考え方も成熟し、度量も広くなった比較的最近のことです。思春期という心理的に大変な時期においては、少なからぬ悩みを抱えたものです。

僕が質問者にアドバイスするとすれば、今は帰国子女であることを隠しなさい、ということ。履歴書にも英語関係の資格など書かなければいい。前向きに捉えられるようになったらカミングアウトすればいいのです。

そして、赤坂真理さん。10年ほど前に文壇に華々しくデビューし、僕も『ヴァイブレータ』『コーリング』などの著作を読みました。最近名前を聞かなくなったと思っていただけに、こうして辛口の悩み相談をしていることがうれしかったです。