3.06.2008

言葉の限界。

今日はある外資系クライアントとのミーティングで、「言葉」の難しさについて考えさせられました。

俎上に載ったのは「研修」という言葉。海外本社の使うtrainingという言葉をそのまま「研修」と訳してしまうとニュアンスが違う、ということに一同愕然としたのでした。

「研修」という言葉は日本的環境の中で育ってきた人からすれば、座学のように講師が全体の前で講義するという受動的なイメージのようです。それに対しtrainingという英語は、語源が「列車」のtrainだけあって「引きずっていく、従わせる」から派生したようなのですが、実際はもっと能動的なニュアンスで使われていることが多いのではないか、という議論になりました。

人は言葉に左右される生き物です。でも、その言葉には限界があります。一番てっとり早く便利だから使っているだけで、本当の思いは言葉ではなかなか言い表せないものです。それでも、やはり言葉を選ばざるを得ないというジレンマ。

クライアントとしては、今僕たちが行っている仕事を旧来の研修ではなく、もっと広い意味での「学び」というニュアンスで全社員に提供していきたいとのこと。その心意気を伝えるためにも、僕のようなコミュニケーションに携わる仕事をしている人間はもっと言葉にこだわっていかなければならないと猛省したのでした。