6.03.2011

捕鯨問題に関して思うこと。

5/22(日)に放送されたNHKスペシャル『クジラと生きる』を見ました。一方の主張しか展開せず、それも表面をなぞっただけの、非常に物足りない番組でした。と同時に、この物足りなさが捕鯨問題の課題をよく表しているのかなとも感じました。
 
番組は、映画『ザ・コーヴ』で糾弾された和歌山県太地町の漁師たちと、シー・シェパードをはじめとする反捕鯨団体との攻防を追ったもの。この町は400年前から鯨漁を生活の糧にしてきましたが、2009年に『ザ・コーヴ』が公開されてから反捕鯨団体が町に常駐し、様々な妨害をするようになっています。漁や屠殺の様子を隠し撮りされ動画サイトに投稿されたり、車の前に立つことで漁師の行く手を阻んでは「Killer!」などと罵声を浴びせられたり。町の人々からすれば、先祖代々受け継がれてきた経済活動や食文化を否定されているようなものです。
 
ところが、番組では『ザ・コーヴ』への反論を意識しすぎたのか、漁師たちの言い分しか伝えていません。反捕鯨団体ついては、深い考えもなく漁りを邪魔する急進的な欧米人、といった描き方。双方の主張を紹介しないと、視聴者は冷静で客観的な判断ができません。また、番組の内容以前の問題として、失礼ながら漁師たちと反捕鯨団体のやり取りも非常に低俗なものに感じました。というか、そもそもやり取りになっていないのです。漁師は、「これが俺たちの文化だ」と頑として主張するだけ。過去の歴史も踏まえて論理的に食文化をアピールする、言葉の壁があるのなら通訳を介す、など相手に自分たちの主張を理解してもらうための努力が不足しているように思えました。反捕鯨団体側も、残虐なシーンだけを情緒的に取り上げて糾弾しているだけ。まるでかみ合った議論がなされていないように見受けられました。

欧米人と付き合う上で、捕鯨問題に関する議論は避けては通れません。ある程度親しくなった人からは、意見を求められることが多いです。僕はズバリ捕鯨肯定派です。日本固有の食文化を欧米人の押し付けによって放棄する理由はありません。ただ、もちろん一定の節度や捕鯨を快く思わない人たちへの配慮も必要です。

捕鯨に批判的な欧米人は、どこか欧米中心的な考えが根っこにあるように感じます。インド人は牛を神聖なものとして牛肉は食べませんが、それを外国人にまで押し付けません。イスラム教徒もハラルフードを異教徒にまで強要しません。

日本人は縄文時代から鯨を捕って生活の糧にしていたと聞きます。それも食用だけでなく、ひげは楽器に、脂は燃料に、というようにすべてのパーツを使い切る。それが鯨に対する供養の気持ちだと考えていたそうです。「いただきます」は生命をいただくことに感謝する言葉。あなたの命をいただく代わりに自分たちは生かさせていただいているという、食物連鎖の頂点に立つものとしての責務。「いただきます」に相当する言葉は、日本語にしかないそうです。こういった崇高な背景をもっとアピールする必要があると考えます。